きゃさりんブログ

社会人2年目が日々の生き甲斐を見出そうと頑張るブログです。

はじめまして!きゃさりんと申します。

今週のお題「自己紹介」

f:id:cocoaissweet:20180403221457p:plain

きゃさりんって何者?

 

地元福岡の公立高校、某国公立大学を経て

2017年4月に社会人デビュー。

生まれも育ちも福岡です。

 

なんとか浪人も休学も留年もせず、社会人になりました。

社会人生活に嫌気がさして来たので

そろそろちょっとドロップアウトしてもいいのではないかと思っていますが

「冬のボーナス貰ってから辞めよう」「期末賞与を貰うまでは…」と結局は会社にしがみつくヘタレです。

 

 

頭ゆるふわOLとなったきゃさりんの経歴

超内向型で引っ込み思案な小学校時代

私は福岡のド田舎の小学校に通っていました。

小学生のお決まりである「昼休みはドッチボール」などの

『子供は外で遊ぶべき!!』という圧力が本当に嫌でした。

 

漫画が大好きで、(当時『ちゃお』にどハマりしていた)

そのころの将来の夢は漫画家でした。

なので友達と外で遊ぶより、机に向かって漫画を描いている方がずっと

楽しい〜って思うような小学生でした。(内向型人間すぎる)

 

低学年の時は、知らない高学年となると大泣きしてしまうくらい人見知りで、自分からは友達に遊ぼうって言えない性格でした。

親戚の集まりが大嫌いで、いつも母や父の後ろに隠れていました。

 

私が小6の時に、両親が不仲のため父が家を出て行きました。

もともと喧嘩の多かった両親ですが、両親が結婚したきっかけがデキ婚だと知り

「私が生まれなければ、二人は結婚せずに済んだのに…」と悲しみに暮れます。

 

今まで知らない人の多い場所では両親が守ってくれていましたが、

もう親を頼ることはできないんだ…自分で頑張るしかないんだ…と12歳にして悟りました。

 

常に笑顔だったらしいけど内心は負の感情でいっぱいだった中学時代

両親の不仲の影響で「人に好かれたい」「よく思われたい」という感情が湧きました。

そのため、入部した吹奏楽部では先輩や同級生や後輩にいつも笑顔で接するようにしていました。

「きゃさりん」という名前は吹奏楽部の先輩が私につけてくれたあだ名です☺️

 

吹奏楽部は今でいう「ブラック部活」で、休みはほとんど無く、

よく問題が起こり(人間関係で)、キツかった思い出ばかりです。

最上級生の3年生では毎日「部活辞めたい」って思ったいましたが、

部活以外に友達がいなかったし、内申点が下がるのが怖くて辞めれませんでした。

 

何より「辞める=カッコ悪い」と思っていました。

心の中では「部活全然楽しく無いし、怒られるし辞めたい…」と

負の感情でいっぱいでした。

 

何故か私が引退するときの後輩からの寄せ書きが

「きゃさりん先輩はいつも笑顔で癒されました」

というようなコメントが多くびっくりしました。笑顔だったんかい私!

 

人生で初めて挫折を味わった高校受験

 

部活の引退が中3の10月末だったので、高校受験ではかなり苦労しました。

学区で一番偏差値の高い公立進学高に行きたくて、他の受験生からの遅れを取り戻すべく

塾と進研ゼミで両方勉強しまくって

最終的には模試で第一志望の合格率80%を取りました。

 

しかし母にその模試を見せても「あんたは部活で周りより勉強してないんだから、そんな博打みたいな受験しないで!大人しく二番手の公立高校に行って!」

「もし第一志望落ちて私立に行くことになったら、部活せずにバイトして学費稼いでね」と、結局第一志望の受験を許してくれませんでした。

(願書まで出したけれど、直前で第二志望に願書を提出し直しました。)

 

この時は本当に本当に悔しくて毎日ずっと泣きながら、

確実に第二志望の高校に受かるよう勉強をしていました。

(父が家にいたら受験を許してくれたのかな)(うちがもっと裕福だったら第一志望を受験できたのかな)と自分ではどうしようもできない挫折というものを味わいました。

 

泣きながら勉強する私を見て母は気に食わなかったらしく、

毎日「じゃあ吹奏楽部入らなければ良かったじゃん」「あんたの塾代は私が20代の頃の貯金から出してるんだからあとで返してね」と怒鳴られ、時には叩かれ、

「受験生の応援をする母親」っていうのが本当にいるのかさえ疑問でした。

 

無事第二志望の高校に合格しましたが、その合格発表当日ですら悔しくて、

「ああ、本当に第二志望に決定したんだ。第一志望にはいけないんだ。」と泣きました。

この受験を通して母のことが嫌いになりました。

 

家が差し押さえになったけど、スーパーポジティブな高校時代

高校生になって、周りがある程度の学力を持っているせいか(?)

人の優しさ・思いやりが中学時代と段違いだ…と感動しました。

 

中学までは母によく「あんたは鈍臭い」って言われていたので

「私は鈍臭いから人に嫌われて当然」と思っていました。

しかし高校の友達は些細なことで

「きゃさりんちゃんのそういうところ大好き」

「本当きゃさりんちゃんは天使!」と言葉に出してほめます。

 

友達に「大好き」「天使」なんて言われたことが無かったのでめちゃくちゃ衝撃でした。

なんて良い子たちに恵まれたのだろう…この高校に入って良かった…と心から思いましたし、今でも高校の時の友達とは仲良くしてもらっています。

部活も中学時代の反省を活かしてゆるーいのに入りました。

 

平和な高校時代でしたが、私が高2の頃に父が自営業で失敗して

私の住んでいる家が差し押さえになりました。

「今後は今の家に住めないんだ」と悲しかったですが、「他のクラスメイトはこんな経験してないだろうな!」とちょっとワクワクする自分がいました。

母と年子の弟と家族会議をした結果、私と弟はバイトをして月に1万だけ家計に入れることに。

 

私の高校はバイト禁止だったため、担任の先生に特別に許可を貰い

近所の会席料理屋さんのお皿洗いのバイトに申し込みました。

(その時バイト募集してなかったし、週一だけだったのによく採用してくれたよ…)

 

週一でバイトをしていて、一月の給料は約15000円。

その中から10000円家計に持っていかれるのが悲しくて泣きました。(お金にがめつい)

しかしバイトはとても楽しく「もはやタダ働きでも良いや!」ってくらい好きでした。

 

最初は「他の友達は普通に親からお小遣い貰えて良いなぁ」って思っていましたが

「バイトを他の子より早く始めることによって社会経験になるし!」

「勉強時間削られるけど、お金の価値が分かるし、何より楽しい!」

「もはや生きているだけで素晴らしい!」

とスーパーポジティブになりました。

 

母から応援して貰えた大学受験

高校受験時に母からの当たりが強かったため、高校時代はよく

「家出したい」と思っていました。

 

しかし家が差し押さえになってから、専業主婦だった母は働きに出て、

休みの日は次に住む家を探しに行ってくれ、そんな風に思うことも減りました。

私の高3の夏休みは母と弟と3人で、次の家候補を探しに行く日々。

 

私が高3の10月には新たな家へ引越しが完了し、受験勉強に本腰を入れます。

うちは

「勉強嫌いなら、高卒で働きなさい」

「私立は受験しても良いけれど、入学金を払うお金はうちにないよ」

「学費は全部奨学金から出してね」というスタンスだったので

弱音を吐くことは許されず、国公立大に受かるべく頑張りました。

 

同じクラスの子が滑り止めの私立大学の受験をしている中

私はクラスの女子で唯一、滑り止め受験0で前期試験に臨みました。

 

高校受験のことを私がかなり根に持っていたせいか(?)

大学受験時は母は優しく、メッセージ付きのキットカットを大量にくれて

感動したことが印象的です。

一科目受験が終わるたびにキットカットを食べ、母の愛情を感じました。

 

前期試験は不合格。

まぁそうだろうなと思っていたので

高校受験の時とは打って変わって涙は一滴も出ませんでした。

母がめちゃくちゃ心配してきましたが

クラスの仲良しメンバーの5人とも、前期試験落ちていたので全く落ち込まなかったです。

 

そして第二志望大学を後期で受験し、なんとか合格しました。

これで落ちたら高卒で働くか宅浪の二択だったので後期で合格して本当に良かったです。

高校も大学も第二志望かーい!って感じですね。

 

 

 

初めて「途中で辞める」を経験した大学時代

高校の時も衝撃でしたが

大学の時も周りの人たちのモラルの高さというか、

人間力の素晴らしさが半端なくて衝撃でした。

(小中学校どんだけ辛かったんだよ)

 

本当にいい大学に入ったなと思いますし、自分に娘ができたら

この大学に通わせたいと思うほどいい大学です。

 

サークルは私のもともと第一志望だった大学とのインカレサークルに入っていて、

この雰囲気がなぜかどうしても合いませんでした。

「サークルのメンバーの悪口を、本人も見ているのに書く」先輩が多く、

(えっ本当に大学生!?私の通っている大学より偏差値高いのに、人間性はどうした!?)って思うようになりました。

 

その違和感に耐えられず、今までカッコ悪いと思っていた「途中で辞める」ということをこの時初めてやります。

大学2年生の冬にサークルを辞めました。

辞めた後は「辞めなければ良かった」って思うことは一度も無く、

「あの違和感まみれの空間に身を置くことはもう無いんだ!」

「もっと早くやめれば良かった!」と清々しい気持ちでいっぱいでした。

 

ここで、今まで辞めることはカッコ悪いと思っていたけど

別に悪いことじゃ無いんだなと気づきます。

 

ちなみに私がよく使う「頭ゆるふわ」というのは、そのサークルの先輩に言われた悪口です🤣

 

バイトはドーナツ屋さんで働いていましたが、これは「タダ働きでもいい!」ってくらい楽しく、4年間続きました(笑)

変なお客さんも来ますが、一緒に働いている人たちがいい人すぎてお休みの日もよく遊ぶほど仲良しです。

 

私ならどこでもやっていけるんじゃ?と思っていた社会人数ヶ月目

高校の時のバイトも、大学の時のバイトも本当に楽しくて

「私なら社会人でもやっていけそう」って根拠のない自信がありました。

 

私の配属された部署は総務課。

事務仕事もしますが、来客の際にはお茶出しをしたり、工場見学の際には現場の掃除をしに行きます。採用試験の監督もしています。

メーカーだけれど、未だに何を作っているのかふわっとしか説明できません(笑)

 

先輩たちはとても優しく、忙しそうだけれど質問したら丁寧に教えてくれます。

学生の頃よりも安定した収入も得れて、念願の一人暮らしもでき、地元で就職したため土日は友達と遊べ…と「社会人も悪くないな〜」と順風満帆な社会人スタートでした。

 

会社の嫌なところが見え始め、辞めたくて仕方が無くなっている今

 

同じ部署の人たちは基本優しいのですが、

会社のビアパーティーが終わった後、ある先輩からの当たりが凄く強くなりました。

 

ビアパーティーでは私は会場の写真撮影を担当していたのですが

その写真が下手くそすぎて一週間毎日怒られました…

怒られた理由は「ブレてる」「なんでこれを背景にして撮ったの?」

「たくさん撮ればいいってもんじゃ無いのよ」ということでした。

 

それから、その先輩からはお茶出しのことで怒られ、

総務課みんなでやる朝の雑務を、私にだけ「きゃさりんさんはしなくていいから !」と言われるように。

他の優しい先輩の前では怒らないから、他の先輩にも相談できず

「次はどう怒られるんだろう」「会社行きたく無い」

と毎日思っていました。

 

それから心療内科に少しだけ通い、薬を飲みながら出社しました。

 

www.kathelog.net

 

仕事に楽しみを見つけることは出来ないままなんとか続けていましたが

(バイト時代は最初は「向いてない」って思っていたけれど、半年くらいたったら

「楽しくてたまらない」って思っていたのに…)

(1年経っても「向いてない」って思うのなら本当にこの仕事向いてないんじゃ?)

 と今の仕事と自分について疑問を持ち始めました。

 

それから会社の嫌なところがどんどん見え始め、

 

「私の母校の後輩にこの会社は勧めたく無いなぁ」って

と思うようになりました。

 

今は毎日「会社辞めたい」と思いながら働いています…。 

 

このブログを通して

私のように「仕事辞めたい 」って思っている人に

「自分だけじゃ無いんだ」「共感した」と思ってもらえるようなブログにしたいです。

 

また、私の趣味

  • コスメ
  • アイドル

のことを発信して同じような趣味をお持ちな方と仲良くなりたいです!

よろしくお願いします!

 

きゃさりんのTwitter

ほぼ毎日更新しています〜(ツイ廃です)

良かったらみてください!

twitter.com